井川ヒロトのブログ

志について探求を続ける 井川 ヒロト が、ニュース・社会・政治・教育・作品(映画、演劇、インプロ、音楽、本、DVD、TV番組・ラジオ)などについて思った事を綴ります。※記事の内容は執筆者個人の見解であり、所属団体の公式見解ではありません。

「自分を責め続けてしまいます」という相談への回答

私がよく使っているニュースキュレーションアプリNEWSPicksに掲載されていた、PRESIDENT Onlineの「為末大の悩み相談室」の記事に対して、アプリ内のコメントで私なりの考えを書こうと思ったら長くなりそうでしたので、こちらのブログにまとめておきます。

 

悲しみ

※画像はイメージです

 

上記の記事は就職活動生の「うまくいかないことを全部自分のせいにしてしまいます」という相談に為末さんが答えているものです。

実は私もわりとこの質問者さんと似た傾向があるため、自分の経験も踏まえ、キャリアカウンセリングの観点からの私なりの回答を、「解決思考アプローチ」と「論理療法」「ナラティブアプローチ」という側面からまとめておきます。

※実際のカウンセリングでは、理論だけで行われるわけではありません。今回はあくまでテキストベースで考え方の一例をしめすという目的でまとめたものです。

 

記事の概要をまずはお伝えします。

以下、PRESIDENT Online 為末大の悩み相談室より抜粋

 

うまくいかないことを全部自分のせいにしてしまいます

現在就職活動中の大学生です。僕にはどうしてもやめられないことが1つあります。それは、自分を責め続けることです。

(中略)

最近はうまくいかないことがあると、なんでもすべて自分の責任にして落ち込む毎日です。もちろん、自分を責めるのは自分でもつらいのですが、なかなかやめられません。(男性・大学生・22歳)

 

 

というお悩みに対し、為末さんは以下のように回答をしています。

厳しい言い方に聞こえるかもしれませんが「自分を責めること」が心地よくて、自己否定がやめられなくなっている。そんなことはありませんか?

(中略)

人はさまざまなものに依存します。ポジティブな方向にものの見方を変えていくより、ネガティブな感情のなかにひたっていることを選ぶのは、「変化するよりは低めのところで現状維持をしていたい」という隠れた欲求のあらわれかもしれません。

(中略)

現状の自分と「あるべき自分」との間にある大きなギャップがあって、そのギャップを埋められない自分が許せないのです。具体的なアドバイスとしては、ものごとの表側だけではなく、裏側もうまく見る癖をつけると、少しは心が楽になるのではないでしょうか。

 

たとえば、「君は見た目も学力も悪くはないが自信がないから採用しない」という面接官の言葉です。これを裏返すと「君は自信が持てないだけで、見た目も学力も悪くない」という褒め言葉ともとれませんか。一見ネガティブに見える事柄にもポジティブな要素が含まれている・・・(以下略)

 

うーん、究極的には為末さんが仰られている通り、「責める自分」も含めて自分が選んでいるといえなくもないのですが、単に「あなたはそれを選んでいるんだから、物事に対しての別の受け取り方を選べばいい」と言われても、それを実行するのは難しいですよね。

 

なので、「ある物事の責任を、他人や環境のせいにするのではなく、自分ゴトとして捉える」傾向がある人なんだ、そういう特性を持っているんだとまずは相談者本人が自己の特性を客観的に捉えることが大事だと思います。

 

そうすれば、同じように何かが起きて自分を責めてしまう状況が生まれたときに、これまでのように自分を責める気持ちだけではなく、「ああ、またいつものように何でも自分ゴト化して考えているな」と一歩引いた視点ももてるようになり、そこから対処する余裕も生まれてきます。

 

その上で、どのように考え、自分を責めてしまうことに対応すればよいのかについて述べていきます。

 

●解決思考アプローチ

解決思考アプローチとは、自身の持っているリソースとありたい姿に目を向ける方法です。

 

世の中一般に広がっている問題解決思考は、どちらかというと、出来ていない点に目をむけ、その原因を考え、解決策を考えます。お医者さんなんかはこの考え方の典型です。

病気(問題)は何かを診て、原因となるウイルスや辛い症状は何かを考え、抗生物質や咳止めなどを処方するのが町のお医者さんが一般的にやられていることです。

 

病気を治したり、機械を直したり、あるいはプロジェクトでうまくいっていない原因を考えたりする時には、問題解決思考はある程度有効かもしれませんが、人間の心を扱い際に用いるのはよほどの注意が必要です。

 

理由は

①表出している問題の原因が一つとは限らない。問題の原因は無意識化にあるものも含めて複数ある可能性があるが、問題解決思考では、原因をカウンセラー側が認識できるものに特定してしまう。

②問題の原因は相互に関連していることが多く、一つの原因に対処しても効果が無かったり、悪化したり、他の問題が表出する可能性がある。

③問題の原因を特定しても原因自体を取り除くことが出来ない場合がある。(例えば、虐待を受けた経験が問題の原因である場合、「虐待を受けた」という事実は取り除くことが出来ない)

 

そこで、解決思考(solution focuded approach)アプローチでは、相手の出来ている点やチカラといったリソースに目を向けます。

ここは一部為末さんもされているところですが、面接官から「見た目も学力も悪くない」と言って貰えた、ことや落ち込みながらも活動ができていること、為末さんに対してメールで相談が出来る情報活用力や行動力など、この方が持っているチカラややってきたことの中に、自分自身を一歩前に進めていけるだけのリソースが見えます。

 

その上で、本人が将来どうなりたいのか、そのためにできる事は何か、今は理想の自分と比べて何%くらいの自分かといったことを聴き、例えば「理想の自分からみたら30%」という回答があれば、31%にするために出来ることを、本人のリソースを伝えてあげながら一緒に考えていく。それが解決思考アプローチです。

 

 

●論理療法(ABC理論)

アルバート・エリスのABC理論です。

詳しい説明はググるとでてきますので、書きませんが、要するに物事の認知は、

 

出来事(Activating Event)→思い込みや信念(Belief)→結果として生まれる感情(Consequence)

 

という流れで生まれていると解釈することです。

つまり、出来事や、結果として生まれる感情をコントロールしようとするのではなく、結果を変えるには、それを解釈する思い込みや信念といったビリーフを変える必要があるというアプローチです。

 

例えば、面接試験を受ける→面接では完璧に相手の質問に答えられなければならない。うまく答えられない自分は無能な人間だ。→落ち込む、自分を責める

 

という認知なのであれば、間の「面接では完璧に相手の質問に答えられなければならない。うまく答えられない自分は無能な人間だ。」という思い込み(イラショナルビリーフ)について考えるようにします。

 

例えば、「面接では完璧に答えられるに越した事はない。ただ、そう考えすぎて面接でチカラを発揮できないのでは元も子もないので、今出来ることに集中しよう」などのように自分の思い込みや信念に働きかける方法がABC理論です。

 

 

●外在化

最後は、ナラティブアプローチの外在化です。

 

外在化については以前「妖怪ウォッチから考える、家庭でできるカウンセリング技法」の記事でも書きましたが、改めて要点をご説明します。

 

外在化とは、自分の中の問題だなと思っていることについて、名前をつけることで自分の外側に認識する方法です。

 

例えば、今回の「自分を責めてしまう」という問題には「せめせめ虫」という名前をつけて、もし自分を責めてしまう気持ちが湧いてきたら、「またせめせめ虫が襲ってきた」という風に捉えるます。

 

そうすることで、自分の中だけの問題だと思っていたことを外にだせたと認識するだけでも少し気が楽になりますし、問題だと思っていることについて外において、その事について認識しやすくなります。

例えばどんな時にせめせめ虫はくるか、来ない時はどんな時か、どんなことをしてくるか、といったことを客観的に認識しやすくなるので、セルフコントロールしやすくなったり、友人やカウンセラーに相談しやすくなります。

 

 

いかがでしたでしょうか。

私と同じように、「せめせめ虫」がよく襲撃してくる人にとって、参考になりましたら幸いです。

 

ではでは今日はこのへんで。

ではでは

 

イガワヒロト

笑顔の価値

とあるチェーンのコーヒーショップで、店員の子が怒られてた。

Smile

※画像はイメージです

「牛乳きれてんのわかんないかなぁ」

イライラ口調で、店長らしき人が店員の子に少し離れたところから言葉を投げかける。

確かに、カフェオレを作るマシンの牛乳が切れていたらしく、泡だて器からジュワジュワ音と蒸気が出ている。

その女の子店員は、慌てて牛乳を補充し、明らかに落ち込んでいる表情で、私が注文したサンドの仕上げをして、私に手渡してくれた。

・・・

受け取ったサンドは、確かに私が注文したやつなんだけど、味はその「女の子店員の落ち込んだ顔」味がした。

うーん、僕の食べたかった朝ご飯は、これであって、これでないやつなんだよなー。

プロとして、お客さんの前ではいつでも笑っていなければならないから、あの女の子店員が悪いのか?

落ち込ませた店長(っぽい人)が悪いのか?

もし、どちらか一方のせいにしているのなら、それは間違ってる。

愛がないよね。

笑顔で差し出された、サンドが食べたかったなぁ。

笑顔 Single, Maxi いきものがかり

ティファニーで朝食を (字幕版) 出演: オードリー・ヘプバーン,ジョージ・ペパード 監督:ブレイク・エドワーズ

今秋絶対行って欲しい芝居・舞台

劇団パラドックス定数「東京裁判」です。

私はこの作品を過去に3度観に行っていますが、一番最初に観た時のことをよく覚えています。

大学の演劇サークルの先輩と二人で観に行ったのですが、舞台の幕が下りた後、座席で先輩と顔を見合わせて、二人とも「す、すごい」といって、少し呆然としてその場を動けませんでした。

感動したんです。

感動と言っても、単純に「泣ける」とかそういう感動ではなく(私はそういう感動系も好きなのですが)、観終わった後に心に深く深くズシンと刺さって、日本人としての自分とか、自分自身の生き方とか、どうありたいのかとか、そういう心の奥を奮わせてくれました。

内容はタイトルの通り、東京裁判のお話。

「人類の知る最重刑」を検察団から求刑された日本側の主任弁護団を描いたお話しです。

こう書くと、なにか思想的な作品だと思う人もいるかもしれませんが、この作品を観て個人的に改めて東京裁判第二次世界大戦の史実を調べた限りでは、ほぼ史実を忠実に描いています。

舞台の制約上、実際の東京裁判と弁論者を変えている箇所はありますが、それも事実の本質を変えないように配慮されています。

史実を歪めたり、思想を押し付けようという作品ではなく、私達が理解できていない当時の人々(弁護団、判事、検察官、そして日本国民)の状況や思いに私たちの世代から迫ろうとしている作品だと思います。

それと脚本素晴らしさの他にパラドックス定数の素晴らしさは、役者さんのすごさです。

私も舞台かじった経験あるので、多少は色々な劇団の舞台を観に行っていますが、パラドックス定数の役者さんの役作りはハンパないです。

もうまんま「その人」がそこにいる感じで、だから観客もその空間の中に溶け込まれて、登場人物と同じ空間で同じ体験をしているように感じることができます。

いや、もうぐだぐだ書いてきましたが、理屈抜きで、とにかく騙されたと思って観て欲しい作品です。

あの当時の事実や人々の想いに迫る体験を、一人でも多くの人にして欲しいし、その体験ができる作品だからです。

パラドックス定数 第35項

  「東京裁判(2015)」

作・演出

野木萌葱

出演

植村宏司

西原誠吾

井内勇希

今里 真

小野ゆたか

2015年

10月22(木)19:00

10月23(金)15:00 19:00

10月24(土)15:00

10月25(日)15:00

俳優座劇場

東京、市ヶ谷。祭りの落とし前。

おそらくあと一時間もすれば、

此処は傍聴人で溢れ返るだろう。

煌々と照らされたその広い空間の片隅に、

彼等五人の席がある。

弁護団主任弁護人。

「人類の知る最重刑」

を求刑する検察段を相手に、

彼等は真っ向から勝負を挑む。

個人の尊重を懸けた、言葉の戦い。

1946年東京、市ヶ谷。

極東国際軍事裁判所本法廷。

祭りの落とし前をつけるべく、

世紀の裁判が開廷する。

パラドックス定数ウェブサイトより

-追伸ー

これまでの東京裁判の公演は王子にあるpit 北/区域という二階建ての会場を上手に利用した演出でしたが、今回は俳優座劇場での公演ということで、どのような演出になるのかなぁ。

あと、出演者の小野ゆたかさんを最近よくテレビで見かけます。たまたまテレビつけているときに、フジテレビで放送されていた「ラーメン大好き小泉さん」ていうドラマと、「癒し屋キリコの約束」というドラマにも出演されているのをお見かけして驚きました。

今後のご活躍がますます期待されます。

ではではこのへんで

東京裁判 (講談社現代新書)  日暮 吉延 (著)

日本人なら知っておくべき 東京裁判 (綜合ムック)  

東京裁判 [DVD] 小林正樹 (監督)

TPPのメリットとデメリット

私のお気に入りのニュースキュレーションサイト(アプリ)のNewspicksが、テレビ東京大江麻理子さんがメーンキャスターを務める経済ニュース番組「ワールドビジネスサテライトWBS)」との連携をスタートさせました。

その企画の一つで、Newspicks内で時事問題についてコメントを募集して、WBS内で紹介するというものがあったので、私も一言。

消費者のデメリットは低価格競争による食の安全性の低下だと思う。逆に中国人が安全性を求めて日本製を買うのを見ていると、「安全」が日本にTPPのメリットをもたらすキーになる気がする。

若干補足すると、低価格競争や、自分の手の届かない所へ届ける食材を扱う方が、マクドナルドの食品問題などをみても、食の安全性は低下するのではないかと思います。

「自分も食べるかもしれない」あるいは「自分の家族や親戚、友人が食べるかもしれない」という思いが、食の安全を脅かすかもしれない行為のブレーキになると考えるからです。

中国人の方々が、日本製品を「爆買い」する理由の一つは安全性であることを考えると、日本の「安全性」に対するこだわりとその信頼性は、世界中の人々に伝わっているのではないか、そうであればそれはジャパンブランドとして日本製品や農作物を輸出する一つのキーわードになると思います。

刺身などの生食文化や、複数人でお湯を共有する銭湯や温泉文化は、皆で清潔を保とうとする日本の文化があってこそ成り立つもので、その魅力が伝わっていることは、同時に日本の製品や農作物、飲食物に対する安全性も伝わっているのだと思います。

ワールド・ビジネスサテライト 技あり!ニッポンの底力 (日経ビジネス人文庫) テレビ東京報道局 (編集)

経済を見る目はこうして磨く (日経ビジネス人文庫) テレビ東京WBS (編集)

トレたま―おもしろモノ大集合! (日経ビジネス人文庫) テレビ東京ワールドビジネスサテライト」 (編集)

佐野氏批判からみるいじめの構造と対策

2015年9月1日、佐野研二郎氏のデザインした2020年東京五輪エンブレムの使用中止が決まりました。

 

【関連記事】

「五輪エンブレム新たに公募」 組織委、佐野案は使用中止(アドタイ 宣伝会議 編集部)

http://www.advertimes.com/20150901/article202193/

 

Mr desing(佐野氏デザイン事務所)ウェブサイト

http://www.mr-design.jp/

 

 

もうこれ以上、佐野氏批判はよくないですか?十分だと思います。

 

 

「悪いことをしたんだから、なに言われても当然」ていう人は、いじめを正当化しているのと同じ。

それとも彼が自殺をしたら満足ですか?

私は絶対にそんなことして欲しくないという思いで、この記事を書くことにしました。

 

 

「誰ひとりとして悪を欲する人はいない」というソクラテスの言葉があります。

いじめは客観的には酷い、許されない行為ですが、やっている当人にとってはそれ相応の理由があるわけです。

たとえ強盗だって、役人の不正だってその人なりの悪事を働く理由があるということです。

 

だから、いじめをしている人は、他のいじめ事件を見ても平気で「酷いなあんなことして」と思うし、パワハラをして部下を追い込んでいる人は他の部署で同じようにパワハラにあって辞めてしまう人を見て平気で「パワハラなんて酷いね」と言えるわけです。

 

本人には本人なりの正義がありますから、自分がしている行為に対しての悪気はないので、悪気なく自分のことを棚に上げられるのです。

 

 

 

では、加害者に自覚がないのであれば、その負の連鎖をとめることはできないのか?

 

いじめやパワハラを止める事はできないのか?

 

 

 

 

私は一つだけその負の連鎖を止められる方法を知っています(怪しいセミナーの勧誘ではありませんよ)。

 

それは、感性の声に耳を傾けることです。

 

相手は今、どういう気持ちかを想像するのです。

今回のことで言えば、「限界状態」と表現されている佐野氏の気持ちです。

 

 

もっと正確に言えば、恐らくどんな人も相手の気持ちを心の感性では、無意識で感じ取っているはずです。

だから、自分の感性に耳を傾ける。

 

 

そのために、感性に蓋をしている、理屈や理性を自覚するのです。

例えば「佐野氏は批判をされて当然だ、なぜなら○○だから」というあなたにとって正しい理屈はそれはそれであっていいし、あって当然です。

ただ、その理屈(言語化できること)は、本来あなたの心で感じている感性(言語化できないこと)に蓋をすることがあると自覚をして、理屈や理性と付き合うんです。

 

 

相手の気持ちを心から感じることができれば、たとえそれが自分にとっての正義であったとしても、相手が傷つく行為をすることを抑えることができます。

 

なぜなら、傷つける本人にも、傷つけられている人の痛みを感じ、痛みが伴うからです。

 

 

理屈や理性が感性に蓋をしている状態では、その痛みを感じることができないので、当人にとっての正義であるいじめやパワハラは止める事ができないのです。

 

 

だから、相手の気持ちを想像する感性の声を聞こうよ。

 

 

最後に、スタジオジブリの映画「もののけ姫」のなかで、この記事で書いた状態を見事にあらわしている言葉を紹介します。

 

 

「お前たち生き物でも人間でもないもの連れてきた」

 

 

私は生き物と人間をこう定義しています。

生き物の本質は感性。

人間とは、感性に人間特有の言葉でモノを考えるという理性が加わって「ヒト」は社会的な「人間」になっている。

 

 

そう考えると、もののけ姫のこの台詞は、その生き物の本質である感性がなく、理性だけの存在という奇妙だけれども、現代に溢れている存在を表現しているのだと思います。

 

 

心を理性で押さえつけ、理性だけで行動する存在。それをもののけ姫の劇中では、猪の皮をかぶり、猪の血を塗りたくった集団という醜い姿で表しているのではないでしょうか。

 

 

心を裸にすると、辛いことや悲しいことが多すぎて耐えられないから、いつでも感性のみで生きる必要はありません。

ただ、理性の仮面を被って生きていることを自覚すること。

その意識がさまざまな社会問題を解決する糸口になるのではないでしょうか。

 

イガワヒロト

 

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もののけ姫」はこうして生まれた。 [DVD] 宮崎駿 (監督)  

 

 

「いまこそ、感性は力」(致知出版社) 行徳 哲男 (著), 芳村 思風 (著)