井川ヒロトのブログ

志について探求を続ける 井川 ヒロト が、ニュース・社会・政治・教育・作品(映画、演劇、インプロ、音楽、本、DVD、TV番組・ラジオ)などについて思った事を綴ります。※記事の内容は執筆者個人の見解であり、所属団体の公式見解ではありません。

理解には偏見が必要である

「愛は憎しみより美しく、理解は怒りより高く、平和は戦争より高貴だ」

by ヘルマン・ヘッセ

いい言葉ですね。

今日はこのヘッセの言葉について私なりに考察したいと思います。

理解

【理解は怒りより高く】

「理解」をする上で大切な事は、人は少なからず必ず偏見を持っていると自覚をすることだと思います。

人には一人ひとり違いがあり、それぞれの見方で物事を見ているため、偏見自体をなくすことは不可能です。

だから、「自分も偏見を持っている」と自覚することで、相手は自分とは違って当たり前だと考えることができ、「自分の事は相手に理解されない」とか、「相手のことは全く理解できない」とか「言っても無駄でしょ」のような、理解を妨げる「諦め」に蝕まれることを回避することができるのです。

そう考えると、「怒り」とは相手を理解することへの「諦め」を正当化し、自己の偏見(自分自身のものの見方、価値観)を正当化するために生み出す感情と言えます。

【愛は憎しみより美しく】

同じ人間はいません。

だから自分と相手では物の見え方も見方も違うので、完全に相手のことを分からないし、分かってもらえない。

けれど、それでも、できるだけ分かろうとするし、分かってもらおうとする、相手から学ぼうとするし、相手に何かを伝えたいと思うこと、それが「愛」なんだと思います。

人は憎悪が膨らむと、相手を傷つけようと誹謗中傷したり、攻撃してしまいますが、それも何かを相手に伝えたいからこその行為ととらえれば、「愛」の要素の一つであるといえます。

とはいえ、「愛は憎しみより美しい」ことは間違いありません。

逆に言えば、「憎しみ」はどんなに理屈をつけて正当化しようとも、無粋でかっこ悪い、美しくなく、望んで選ぶべきものではないのです。

だから、愛の反対は憎しみではなく、「無関心」なのです。

【平和は戦争より高貴だ】

人々が「怒り」という言い訳に支配されず、相手を「理解」しようとして「愛し」、「憎悪」の醜さを恥じれば、「戦争」の体験をしなければ「平和」の高貴さを理解できない愚かな私達人間社会から、争いをなくすことができる。

「愛は憎しみより美しく、理解は怒りより高く、平和は戦争より高貴だ」

二度の世界大戦を経験した、偉大な表現者であるヘルマン・ヘッセのこの言葉のコンテキストを今の私というフィルターで読み取ってみた。

車輪の下 (新潮文庫) ヘルマン ヘッセ (著), 高橋 健二 (翻訳)

超訳 ヘッセの言葉 ヘルマン・ヘッセ (著), 白取春彦 (翻訳)(ディスカヴァー・トゥエンティワン

TOEFL 入試問題代用の広がり

入学試験の代用として、TOEFLTOEICを活用する大学が増えています。

■国際地域学部でTOEFL活用 来年度の福井大入試要項(中日新聞)

福井大は二十五日、二〇一六年度の入学者選抜要項を発表した。新設の国際地域学部は定員六十人。同大では初めて大学入試センター試験の外国語の得点として、TOEFLの成績を活用できるようにした。

国際地域学部は前期三十五人、後期十五人、センター試験を課す推薦入試2が十人。一四年四月以降のTOEFLで六百点以上ならばセンター試験の外国語を満点とみなす。

(上記記事より一部抜粋)

ちなみに、定量的なデータを探したのですが、なかなか良いデータは見つかりませんでした・・・

TOEICのウェブサイトに「入学試験活用校数」として347校と出ているのですが、これは何かしらの入試で一部一定以上の加点をすることで活用している大学の校数も含まれているため、入学試験の代用にまで踏み込んで活用してる大学の数までは探せませんでした。

TOEICTOEFL両方ともに入学試験の代用化が進んでいるようなのですが、本気で日本の英語教育についてレベルを上げるのであれば、リーディング、ライティング、スピーキング、ヒアリングがあるTOEFLを活用するほうが良いと思いますし、中教審も同じような方針のようです。

■大学入試の新共通テスト、英語にTOEFL活用も

中央教育審議会中教審)は24日、大学入試改革の答申案を示した。大学入試センター試験に代わる「大学入学希望者学力評価テスト(仮称)」は複数回実施。英語は「読む・聞く・書く・話す」という4技能を評価する方針を明らかにし、TOEFLなど外部の資格検定試験の活用も検討する。

 文科省は近く、TOEFLや実用英語技能検定(英検)など各試験の主催団体や高校・大学関係者などによる協議会を設置し、各試験の出題傾向や評価基準などを検証する。

(上記記事より一部抜粋)

・・・が、TOEFLはいかんせんレベルが高いので、「英語をそこまで必要としない人もいる」「英語よりも日本語をもっと強化すべき」など反対がたくさん上がるでしょうし、抜本的な教育改革を行う気概がなければ、実現は難しいかもしれません。

てか、TOEFLに対応できるレベルの子どもたちがバンバン出てきたら、30オーバーの私ももっと頑張らないと危ないので、その日が来ると信じて、今から私も頑張ります!

ではでは今日はこのへんで

ではでは

目指せ日米トップ大学ダブル合格―TOEFL JuniorテストからTOEFL iBTテストへ(Institution for a Global Society (著))

【CD3枚付】TOEFLテスト英単語3800 4訂版 (TOEFL(R)大戦略) (神部 孝 (著)、旺文社)

英語を学ぶのではなく英語で何をするか

英語はここ数年ずっと私の課題なわけですが、なかなか上達できませんし、そもそも英語の学習に取り組む時間もうまく確保できず悩んでいます。

同じような悩みを持っている方は多いのではないでしょうか。

こんな状況を打破できる英語学習法はないかと考えていて、一つアイデアを思いつき、これからやっていこうかなーと思いましたので宣言の意味もこめて書こうと思います。

英語

私はたまに「ニュースで英会話」というNHKの番組を観るのですが、そこで講師をされている、順天堂大学教授の鳥飼玖美子が紹介していた英語学習の方法を試してみようかなと。

本題に入る前に、鳥飼先生のことについて少しだけ触れますと、結構前から鳥飼先生のことは番組を観て知っていたのですが、なんとあのアポロ11号の月面着陸や大阪万博などの世界同時中継の際に、同時通訳をされていた、通訳者の草分けの一人だそうです。

さて、本題ですが、これから実践しようかなと考える英語勉強法は、「ブログの英語化」です。

これは、鳥飼先生の「一番お勧めの英語学習法は、英語を学ぶのではなく、自分の好きなことを英語でやること」という言葉をヒントにしています。

ブログ記事はこれまでそこそこたまってきたので、少しずつ英語化もさせていこうかなと。

たぶん恐らく、いや確実に、間違った英語の表現や、おかしな文章になってしまうこともあるかもしれませんが、トライアンドエラーでぶつかっていきたいと思っています。

ではでは今日はこのへんで。

ではでは。

「英語公用語」は何が問題か (角川oneテーマ21) (鳥飼 玖美子 (著))

NHKニュースで英会話 2015年 06 月号 [雑誌]

韓国大卒失業者50万人からの示唆

韓国で、大卒失業者が初めて50万人を超えたそうです。

進学率が50%を超え、高まってきている日本において、進学率70%の韓国は今後の日本を考える上で参考になると思います。

■韓国経済新聞/中央日報日本語版「【社説】大卒失業者50万人…大学改革しなければ改革される=韓国

大卒者が60万人以上あふれるが、良質の働き口は不足している。韓国経済研究院によると、4年後の2019年は良質の雇用が265万件であるのに対し、良質の労働力は528万人と倍近い差がある。経済が画期的に回復しない限り、大学が失業者養成所になるしかない構造だ。80%を上回っていた大学進学率が70%線まで落ちたのも当然の帰結だ。大学が成功どころか就職も保証するわけではないため、あえて高い費用を支払って行く理由がないということだ。

この韓国の現状は、日本に対し2つの示唆があると思います。

1つ目は、大学は社会で活躍できる人材の育成がさらに求められてくるということ。

日本においても人口減少に伴い、内需減少に伴い、雇用も減ってきますので、よりチカラのある学生を送り出さなければ、卒業生の就職先がなくなってくるということです。

学生の視点から見れば、単に大学にいくだけではなく、きちんと大学で成長して付加価値を生み出せる人材にならなければ、就職がしにくくなるということになります。

2つ目は、大学のあり方についてです。

進学率が50%を超えた日本ですが、このまま韓国と同じように70%台やそれ以上を目指すべきかという問題です。

平成25年度から、「職業実践専門課程」という文部科学省の制度が実施されました。

従来、専門学校は都道府県が認定していたいましたが、必要要件を満たし、都道府県が文部科学省に推薦して認められた場合は、文部科学省がその教育課程を認定する制度です。

つまり、文部科学省の認定」という意味では、大学と同じお墨付きを得た教育を行う機関であるわけです。

職業実践専門課程の指定を受けた専門学校の講座は、お墨付きを得られるだけでなく、厚生労働省が行っている、教育訓練給付制度の指定を受けられるなどの優遇があります。

こうした動きを見ると、大学で育成すべき人材と、専門学校で育成すべき人材の分担が進んでいくのかもしれません。

ドイツでは、マイスター制度といって、国が一定のレベルに達した技術者を承認することで、社会的な信用を保証する仕組みがあります。

日本では一般的には専門学校卒よりも大卒の方が雇用条件や採用基準において優遇される傾向がありますが、今後はドイツのように専門学校などで専門技術を学び、一定のレベルの技術を身につけた人材の評価が高まることで、専門学校など専門技術を身につける教育機関の役割の見直しが進むのではないかと、これらの動きを見ていて思いました。

ドイツでは10歳の段階で、いわゆる大学進学を目指すギムナジウムに進むか、もしくは専門技術を学ぶ専門学校へ進むかを選択しなければならないそうです。

そう考えると、もし上記で予想したように、日本における専門学校が担う人材育成の役割が大きくなった場合も、高校卒業時の16歳までにどうするかを考えればよいわけで、ドイツに比べたら猶予はあるのかもしれません。

(とはいえ、もし実際に行うことになったら反発は大きいと思いますが)

経済のグローバル化が進む中、日本的慣行である新卒一括採用や総合職採用が保たれなくなる時代がいつくるかも分かりません。

そうなると、韓国や欧米諸国のように、未経験者の失業率は一気に高まることになってしまいますので、時代の流れも追いながら、教育のあるべき姿を考えていく視点がますます重要になってきていると感じています。

ではでは今日はこの辺で。

ではでは。

「日韓の未来をつくる (韓国知識人との対話 Ⅰ)(慶應義塾大学出版会)」 若宮 啓文 (著)

「ドイツ人の価値観―ライフスタイルと考え方(三修社)」 岩村 偉史 (著)

「数字」に支配されるな

当たり前ですが、「数字」というのは、物事を理解するために用います。

suuji

だから「数字」は手段なわけですが、僕等は数字に使われたり、頭ん中が数字に支配されたりすることが多くあるなと思ったので、メモっときます。

数字に使われている状態の例で言えば、目標数字は、ある状態になるための指標の一つとして「数字」を用いているのに、いつしか目的よりも「数字」を達成することを優先させてしまいます。

数字に支配されている状態の例で言えば、自殺者数を語るときの数字の捉え方です。

平成26年度の自殺者数は25427人だったそうです。(内閣府自殺対策推進室「警察庁の自殺統計に基づく自殺者数の推移等」

自殺者数

こういう数字を見るとき私達は、その膨大な数字を前に「1年間で約2万5千人もの多くの方が自殺した」と一つの事象として数字を捉えてしまいがちです。そして、そう捉えることで、それ以上を考えない、思考停止を数字によってさせられてしまいます。

ただ実際には、自殺をしなければならなくなった一人の方の苦渋の選択。その一つの選択が一つ一つ合わさって、25427人の自殺者数となっているってことにまで、十分に想いを馳せられていなかったのではないかと。

数字はとても便利なものです。

だからこそ私は、数字に使われるのではなく、使う人間でありたいです。

野口 悠紀雄 (著)「数字は武器になる: 数の「超」活用法(新潮社)」