妖怪ウォッチから考える、家庭でできるカウンセリング技法
昨日2015年1月16日にフジテレビで「1億3千万人が選ぶアニメ・特撮&ドラマ心に残る名シーンベスト20」という番組が放送されていて、チラッと観た時に、今話題の「今更聞けない妖怪ウォッチ」という特集をやっていまして、流行っているけど良く分からないなーと思っていた私には、「まさに今の俺向けの企画だ」と思いまして、見ました。
そこで、妖怪ウォッチについて以下の3つのことを学びました。
※あくまでその番組を観た私の理解であって、正しいかどうかは分かりません。
1.ジバニャンという妖怪は、飼い主の女の子を助けるために交通事故に会って死んでしまったが、その飼い主の女の子のジバニャンを想う心に胸を打たれて妖怪になったこと。
2.主人公の男の子がある時に妖怪を見ることができる妖怪ウォッチを手に入れて、その妖怪ウォッチに妖怪メダルというのを入れると、妖怪が召還できるようになること。
(ファイナルファンタジー風に理解すると、「タイタン」とか「イフリート」とか「バハムート」みたいなイメージでしょうか?違いますでしょうか?)
3.あと、「カリパックン」や「ヒキコウモリ」という妖怪が登場して、借りパク(借りたまま返さないこと)や引きこもりを、その妖怪のせいにすること。
このうちの、「3」を観たときに「これはカウンセリングに近い!」と感じました。
カウンセリング技法にも色々な考え方や流派があるのですが、その中の社会構成主義という理論を応用した「ナラティヴ・セラピー」というカウンセリング技法の考え方の一つに「問題の外在化」があります。
※「社会構成主義」や「ナラティヴ・セラピー」についての「私の理解」は別にエントリーに書きます。
ここではあくまで「外在化」について述べます。
例えば、親が子どもの引きこもりの問題に向き合う時、通常は問題は子どもの中、あるいはその親にあると考えます。
というか、カウンセラーも「問題」はクライエントの中にあるはずだから、それを見つけ、その問題の解決法を見つけて対処しようとするアプローチをしてきたため、問題を「内在化」させてきました。
でも、問題が自分の中にあると考えるのって辛いですよね。
しかも、中にあるって言われても、その問題が見えるわけではないからどうしたら良いか分からない。
とはいえ、自分の問題という意識はずっと持ち続けるため、どんどん自己否定が強まっていって、「どうせ俺は」とか「変わらない」とかいう意識が強くなって、解決するエネルギーがなくなったり、問題が長期化してしまいます。
この「外在化」という技法では、問題を外側に持ってきて、取り出した問題に対して、本人と周りの人は一緒に考えます。
つまり、「問題」が悪いのであって、「自分」自体が悪いわけじゃない、だから一緒にこの「問題」への対処方法を一緒に考えよう、というアプローチです。
この外在化の具体的アプローチの最初は、ニックネームを問題に対してつけるところから始めるんです。
これってまさに、妖怪ウォッチの世界観そのものですよね。
引きこもりの状況に陥っている本人自体に問題があるのではなく「ヒキコウモリ」がいけないんだ。
じゃあその「ヒキコウモリ」はどんな悪さをするのか、いつ頃悪さをするのか、好物は何か、苦手なものは何か、この「ヒキコウモリ」のせいでどんな被害が本人に及んでしまっているのかを、一緒に考えます。
そうしたら、では「ヒキコウモリ」をどうしたいのか、倒したいのか、上手く付き合っていきたいのか、もう少し育てると蝶になって飛んでいきそうなのかなどなど考えます。
そして、ではそのゴールのためにできる最初の一歩目は何かを考える(決してゴールへの近道や、一発でゴールに到達する手段ではなく、あくまで「小さな次への一歩」)、そうしてカウンセリングをしていく手法が「外在化」です。
妖怪ウォッチがそこまで考えられて作られているかどうかはわかりませんが、この発想法を上手く利用すれば、「カウンセラーによるカウンセリング」みたいなかしこまった状況でなくても、朝寝坊や忘れ物が多い、集中力がないなど、小中学生が抱える悩みに身近な人が上手に関わることができます。
逆に言えば、「カウンセリング」とは、何か特別な悩みや病気を抱えた人だけが受けるものなのではなく(もちろんそうした方も受けるのですが)、もっと身近なものなのです。
ではでは今日はこのへんで。
ではでは。
ナラティヴ・セラピー──社会構成主義の実践 マイケル・ホワイト (著), ハロルド・グーリシャン (著), ハーレーン・アンダーソン (著), トム・アンデルセン (著), ギアンフランコ・チキン (著) 遠見書房