対人援助職、キャリアカウンセラー、キャリアコンサルタントの方には是非観ていただきたい動画
SFA(ソリューション・フォーカストアプローチ=解決志向アプローチ)というブリーフセラピーの一つであるカウンセリング手法は、一般的に用いられているカウンセリングのように、その人の傾向や問題とその原因を傾聴して気付きを促すアプローチではありません。
相談者である相手の在りたい姿と、その人の持っているリソース(前進するためのチカラや環境)に注目し、ありたい姿にどう近づいていけるかを対話を通じで見つけていくアプローチです。
その開発者の一人であるインスー・キムバーグによる学校のクラスへカウンセリングを行う動画について、私なりの捉え方で解説をしてみます。
この動画は、個人ではなくクラスを対象にしたカウンセリングですが、SFAではアプローチの基本は個別カウンセリングと変わりません。
まず初めに、相談者である先生に対し「どうなりたいか」を質問するところからカウンセリングが始まります。この対話を通じ、相談者とカウンセラーがともに目指すべき「北極星」を定め、どの方向に互いに歩んでいくかを確認しています。
動画の当初、先生方は起きている問題について語ります。もちろんそれが先生方の悩みなのでインスーはそれを傾聴しますが、そこを深く掘り下げる代わりに、「先生方が生徒のことを深く想っている」と感じたと先生方へフィードバックを伝えます。そしてもう一度「どんな未来を望んでいるのか」を先生方に聴いています。
その後インスーは生徒達を観察し、このクラスがあるべき姿に近づくために役立つと思われるリソースを確認していきます。
そして生徒にそのリソースを伝えます。
その行為をSFAでは「コンプリメント Compliment」と言います。コンプリメントは「褒める」と訳されることが多いのですが、一般的な褒めるとはニュアンスが異なります(と私は捉えています)。
SFAでは「相談者の人生の専門家(一番詳しい人)は相談者自身である」というスタンスでクライエントと向き合います。
そのため、一般的な「褒める」のように、上の立場の者が下の立場の者を評価するというスタンスでコンプリメントは行なわれません。
コンプリメントは、セラピストと相談者が同じ目標に向き合うなかで、客観的に見えた相談者のリソースという事実を、セラピストが相談者に伝えるという感覚のものです。
例えばインスーは、子どもへのフィードバックを行う時、具体的な行動を伝えています。一人の子がカンシャクを起こした事についても、その原因や問題点に注目するのではなく、「我慢をした」という具体的な状態にフォーカスしてそれを伝えています。「素晴らしい」という一般的に使われる誉め言葉はあくまで添える程度に使用しています。
その後、スケーリングクエスチョンをします。
「10は最高のクラスで、1は最低のクラス、このクラスはどのくらいですか?」と子どもたちへ問いかけます。
子ども達はリソースへのフィードバック(コンプリメント)を得ているので、6〜9と高い数字を答えました。
これがインスーからのフィードバック前であれば大分結果は変わっていたと思います。
そしてインスーはこの後、自身の評価として「8.5」と伝えます。この伝え方が非常に素晴らしい。ここではあえて専門家としての評価という前置きをして8.5と伝えます。
これは前述した「SFAでは専門家として相手と向き合わない」と矛盾があるように見えるかもしれませんが、そうではありません。
インスーは「自身が専門家として見られている」状態を、この場を前進させるためのリソースと捉え、それを利用したのです。
決してインスーが、専門家として知識や経験があるものが、それらが無いものに教えるという態度や意図を持って、子どもたちに接していないことは、動画のこのシーンを観ていただければ感じて頂けると思います。
そして彼女は子ども達に課題を与えます。
課題は「3ヶ月後に改めて会うまで8.5を保つ」というモノです。
この課題の肝は、8.5とは具体的にどういう状態か、そして10はどういう状態かを子ども達自身に考えさせている点です。
この課題により、子ども達は教師からの指示や評価によって行動するのではなく、自分たちで自らの行動を評価し、そして改善するための具体的な行動を考え、そして主体的に行動するようになりました。
この一連のアプローチの根底には、以下の信念があります。
1.人は誰でも自分の人生をより良くするチカラを持っている。
2.その為に一番良い方法を知っているのは、その人自身である。
3.なぜならその人の人生の1番の専門家(理解者)はその人自身であるから。
インスーは相手が例え子どもであっても、現状を改善していくチカラを彼らは持っていると信じていました。
だからこそ、具体的な改善策は子ども達自身に委ねたのです。
そして子ども達はその期待に応えました。もちろん自分たち自身のために。
多面性と仮面の違い
人が多面的であることは、間違いないだろう。仕事の自分と家での自分、親との自分に違いはある。
では仮面をつけることは多面的であることと同義なのだろうか?
仮面をつけることも、多面性で説明されることがあるが、そこには本質的な違いがあるように思う。
高級レストランと、自宅と、寝るときと、キャンプをするときにそれぞれに合う服を身に着けることには違和感がない。
でも、サイズが合っていない服に無理やり自分を合わせるように、手を伸ばしたり、縮めたりしたら気持ちが悪い。
そんな違いがそこにはあるように感じる。
ティール組織 ― マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現
- 作者:フレデリック・ラルー,嘉村賢州
- 発売日: 2018/01/24
- メディア: Kindle版
音響、照明ほぼなし。でも観客を惹きつける圧倒的演技と脚本の作品。
劇団のパラドックス定数 第42項「Nf3Nf6」
いやー面白かった。数学者とエニグマという暗号気が出てくるので、数学に詳しい人や数学を美しいと感じる人はもっと楽しめる作品です。
音響も照明もほぼないのにこれだけ人を惹きつけられるのは本当にすごいです!!
期間限定公開のようなので観てみることをお勧めします。
※2020年11月末までの公開のようです。それ以降は非公開になっているかもしれません。
照明もほぼ自明かりのみで、地下室の雰囲気なので、部屋を暗くしてみるほうが、空間がよく見えると思います。
できればパラドックス定数の東京裁判という作品もYoutubeで公開してもらえると嬉しいなと思います。
東京裁判もおすすめ作品です。
9月入学・学期始まりについての論点整理
9月入学・学期始まりについて、いくつかのFacebookの教育系グループへのコメント募集を行って集まった意見と、ネットで見られる意見を基に、論点整理を行ったのでまとめておきます。
どんな政策の決定についても、どちらを選択したとしてもメリットだけ、デメリットはそれぞれあることを踏まえつつ、意思決定をする必要があるのだと思います。
できるだけフラットに論点整理をしつつ、ざっくりと2つの論点にまとめて整理してみます。
【論点1】9月始まりにするために行政はコロナ騒動の仲リソースを裂くべきか?
9月始まりにするには、政府・自治体職員・現場教員に負担がかかるため、コロナ騒動がある中で9月始まりとするためにリソースを割くべきか?
会計年度と学年がズレること、学事日程の変更、子どもの入学月の変更に伴う事務負担が増えるため、9月始まりにすべきではないあるいは今の時期に行うべきではないという意見も多くあります。
この論点を考えるためのポイントとしては、メリット・デメリットを考えるという当たり前の事に加えて、今年度の学期始まりが6月からとなろうが、8月からとなろうが、9月からとなろうが、どちらとしてもそこには学事日程の調整や単位調整、環境整備といった膨大なリソースを伴うことになります。
開始を来年4月始まりにした場合、教育関係の役所担当者や、教員のリソース投下は最小限になりますが、我々は今年1年間経済活動を止めること、学生の教育を1年間丸々遅らせることからくるデメリットを受け入れる覚悟をしなければなりません。
(その反面、コロナで亡くなる方を最小に抑えられるというメリットを享受できます)
ちなみに大学に8年間勤めていて、9月受入、9月卒業も学事日程として組み込まれていましたが、会計年度と入学時期がずれることについては、実務上そこまで大きな影響はないというのが実感です。
もしかしたら初年度については予算編成時に想定していなかった費用が掛かるといったこともあるかもしれませんが、初年度だけは予算を超えてしまうこともある程度柔軟に対応するように行政が対応すれば、現場の負担も少なくて済みます。(限られた予算の中で対応しなければならないために工夫するリソースが掛かるので、そこは予算でカバーする)
【論点2】コロナが収束する時期が読めない中で、いつからどのように教育を行っていくべきか?
「そもそも、8月末までにコロナが収束できないのではないか?だったら9月始まりもできない」という意見は多くありました。
他にも同様に「9月始まりにして、また今回と同じような事態が起きたら4月始まりに戻すのか?」といった意見も多くありした。
これらの意見はごもっともです。ですが、論点に立ち返って、「我々はこの状況の中でどのように教育を行っていくべきか」を考えなければならないと思います。
それが4月始まりであれ、9月始まりであれ。
例えば、同様の伝染病が今後も流行ることに備え、教育格差をなくすために、オンライン授業を行うためのインフラ整備を、これを機に意思決定して取り組む必要があるかもしれません。
(5Gの導入と合わせた家庭内通信環境の整備はマストかもしれません)
論点1にも繋がりますが、9月学期始まりにした場合、6月から本格的に準備を開始したとして3カ月足らずで準備をしなければなりませんので、リソースはかかりますが、教育の遅れを最小に抑えることができます。
リソースはかかりますが、現場教員の方にとっては、通常教学指導がほとんどない中で、その準備の為だけに自らのリソースを避ける貴重な時間を取ることができると取ることもできます。
4月始まりにする場合は、変更に伴うリソース利用を最小に抑えることができ、オンライン授業を行うためのインフラ整備にも比較的時間をかけて行うことができますが、先ほど述べたようなデメリットを受け入れる必要があります。
印象論だけで判断をするのではなく、このような論点を踏まえ、9月入学・学期始まりとすべきか、学期時期の変更など行うべきではないのか、判断をしていくべきだと思います。
私自身は、教職員を8年間行っていた経験、そして企業の採用担当も行っていた経験、そして上記論点を踏まえるとどちらかというと9月入学・学期始まりに変更するほうが望ましいのではないかと思っていますが、もう少しその辺りは深堀りして考えていきたいと思います。
最後にテレ東ニュースで、9月入学のメリット、デメリットについて短い時間で良くまとめてくれているものがありましたので、紹介して起きたいと思います。
【解説】急浮上「9月入学」実現するか? メリット、デメリットを篠原官邸キャップが解説
淘汰されない大学
アエラが「淘汰されない大学ランキング」特集を組んでたのでかなりざっとだけど斜め読みしてみた。
ようは淘汰の時代は始まってて、リスクとって投資できて、職員が優秀な大学が生き残るってことかな?
元大学関係者の身からすると、その通りかな。
リスクテイク
昔は保守的な方が健全な経営できたけど、少子化で競争原理が生まれている今はリスクとって投資(株式投資って意味だけじゃない)できないと厳しいと思う。
職員力
大学職員と教員って、国会議員と官僚の関係に似てると感じてた。(教授会≒国会で)ルール作るのは教員で、予算とって実行するのは職員。もちろん何をするかWHATを決めることは大事なんだけど、どうやるかHOWも、この構造の中では大事(企業だとまた違うけど)。
ようは、クレバーな職員がやりたくないWHATを押し付けられた時にどうするかというと、結果が出ないようにHOWを実行して、結果検証はちゃんとやって「このWHATはあまり効果がありませんでした」って報告まとめて次年度の予算から削る。まあそこで立法と行政間の自浄作用が働いていると言えば働いているんだけれども、クレド意識の低い人が多いと、結局はそこで本質が失われてしまい、競争力のあるモノは生まれない。