ザ・ハイロウズ×SEKAI NO OWARIで感じたこと
私はいつも世間のテンポから一歩、いや、三歩くらい遅れているのですが、遅ればせながらSEKAI NO OWARI(世界の終わり、以下「セカオワ」)を聴きはじめています。
久々に僕の中でヒットするミュージシャンに出会い、僕はすっごく嬉しいです。
最近だと東京事変やチャットモンチーといった女性ボーカルが(僕の中で)ヒットすることが多く、カラオケとかでもなかなか歌えないし。
セカオワを聴いていて、ザ・ハイロウズの千年メダルって曲を思い出したので、その話しをば。
千年メダルの歌詞には
「永遠に君を愛せなくてもいいか」
「十字架の前で誓わなくてもいいか」
「たとえば千年 千年じゃ足りないか」
ってのがあります。
僕はこの歌詞は、単純に「永遠」って言葉を使うよりも、「千年」っていうほうが誠実だなと思って、そうこの歌詞を理解していました。
以前の記事でにチャットモンチーの"CAT WALK"って曲に出てくる
10分後も10年後も同じように生きているだろうか
って歌詞を取り上げた時にも書きましたが、移り行く日々を受け入れている感じがするからです。
ただ、セカオワを聴いていて、もう少し深くこの歌詞を理解することができた気がしました。
ボーカルのFukaseは
始まりと終わり
喜びと悲しみ
生と死
を同時に表現しようとしていて、それは絶望という「世界の終わり」から音楽を始めた彼等のバンド名にも現れています。
そんなセカオワを聴いていて、千年メダルも「永遠」っていう終わりのないモノよりも、千年っていう終わりを考えて相手と向き合っている分、より深く心に響いてきていたんだなと、再認識することができたんです。
15年以上聴き続けているブルーハーツやハイロウズの歌を深めてくれたセカオワに感謝しますし、セカオワ自身にもすっごく深い意味を私達に与えていてくれています。
井川ヒロトはSEKAI NO OWARIを応援しています。
"Tree" SEKAI NO OWARI トイズファクトリー
"ロブスター(「千年メダル」収録)" THE HIGH-LOWS キティ