CDA取得への道~夢は叶わない~序章③
大学の入試広報をやっていた時、4年間で少なくとも100校以上は高校を回り、1000人以上の高校生に逢い、そして高校生に「夢」と「志」の違いについて聞いてきました。
(いや、もちろん進路ガイダンスや進路相談もちゃんとやってましたよ;)
この偏屈な質問に対し、理屈ではなくて感覚で答えてくれた彼等の意見を聞いたとき、私はそこに真理が隠されていると思いました。
割と多くの高校生から「夢は叶わないもの」って言葉がでたんです。
AKB48の高橋みなみさんが「努力は必ず報われる」って、テレビで言っているのを聞いたことがあるけれど、どこで刷り込まれたのか、割と多くの高校生にとって、「夢は叶わないもの」って捉えているみたいでした。
僕は、この「夢は叶わないもの」っていう認識は真理に近いと思っています。
僕なりの、夢と志の違いは以下の通りです。
夢は将来へ向けた想い、なりたいこと、やりたいこと。
志は、その夢を実現させる中で、誰の、どういう問題を解決させたいか、またはどういう喜びを創りたいかまで考えられた将来への思い。
社会で何かを実現させようと思ったら、自分ひとりでできることなんてほとんどなくて、多くの人の協力が必要です。
その時に、単に自分の「こうしたい」という想いだけで、人はついてくるでしょうか?
もしくは、そこに永続性(サステイナビリティ)はあるでしょうか?
夢を、「誰かのためになる」っていうビジョンの共有できる「志」へ昇華できているからこそ、多くの人の協力が得られて、実現に向かうのだと思うのです。
(「誰かのために」と言いつつそれは「夢」から昇華させているところがポイントです)
前回の記事で書いた、私への応援メッセージをくれたCDA仲間達は、CDAを目指すだけあって、皆熱い人たちです。
皆、それぞれの環境の中で、社会に貢献しようと日々努力されていて、思えば会って飲み会をすると、そういう想いの共有をしていました。
そう考えると、私の必死さと将来への想いを、彼等に応援していただけたのかなと思います。
こうやって、志を持つ人の輪は作られていって、誰かがことを成すときに、結びつきあって、奇跡を起こすチカラになっていく。
だから夢ではなく、私は志をこそ訴えます。
志を持ってさえいなければ、傷つかない局面に、志士は何度も晒されます。
社会には理不尽や不条理がたくさんあるから。
それを見ないようにしたり、こんなものだと割り切ったら、どんなに楽だろうと。
それなのに、何故志士は、志士でいるのか、いつづけるのか?
それは人それぞれだと思う。
感謝、喜び、悔い、憧れ・・・
でも、はっきりしていることは、志士じゃなければ得られないものがあるっていうこと。
それはこのどんどん長くなっていく序章ですでに示した。
「仲間」、「経験」、「言葉」、「勇気」、「希望」・・・
だから志士にはこの言葉を捧げます。
「志士は溝壑(こうがく)に在るを忘れず、勇士はその元(こうべ)を失うを忘れず。
志のある者は自分の死体が溝っ淵に捨てられている情景を決して忘れるな、勇気あるものはその首を失う事を常に覚悟せよという事です。」
(演劇集団キャラメルボックス「また逢おうと竜馬は言った」より抜粋)
はてさて、「CDA取得への道」と題して、その過程を書こうと思ったら、なんと序章だけで3本になってしまうとは・・・
先が思いやられます;;
文章のまとめ能力なさ過ぎですOTL
精進してまいりますので、見捨てずに今後ともお読みいただけましたら幸いです。
イガワヒロト
「努力は報われず正義は滅びる―レゲエ数学者の人生談義」秋山仁著( 同文書院)