同窓会の意味とは
2年ほど前から母校の多摩大学目黒高等学校の同窓会(友輝会)の副会長をしている。
尾田 栄一郎「ONE PIECE 23 (集英社・ジャンプ・コミックス)」
目黒商業女学校、目黒女子商業学校、目黒学園女子商業高等学校、目黒学園女子高等学校そして多摩大学目黒高等学校と名前は変わっているが、昭和12年(1937年)から続いている歴史ある高校で、会員は20,000人ほどいる。
その同窓会で今年度の企画として成人を迎える会員のために、高校で成人記念パーティー企画を行うことを決めた。
最近では付属中学出身の生徒も増えたため、小・中を公立の中学・高校で過ごした子よりも、地元に人間関係が深くできていない子達が多く、高校という単位で成人パーティーを開くことの意義があると考えたためである。
それにあたって、今度成人式を迎える学年の後輩たちに、要望や想いなどを聞いてきた。
いろんな意見やアイデアが出たが、まとめるとやりたいことは以下の三つに集約されていたと思う。
1.高校時代の同級生に会いたい。
2.久々に先生に会いたい。
3.当時の思い出に触れたい。
かなり長時間にわたって色々な話を聞いたが、聞いているうちに「同窓会ってものの意義や意味」ってことにふっと想いがいき、考えてみた。
→もう少し内容をまとめた記事を2015年1月12日(Mon)付けで更新してます。
20才や30才、あるいは50才やそれ以上になった自分がいて、その自分が中学生や高校生だった時の友達や先生に会いたいと思ったり、その場所に行きたいと思う。これはどういう事なんだろうかと。それをする同窓生達にとってどういう意味があることなんだろうかと。
僕なりの結論はこうだ。
当時の自分と、今の自分を見比べて今の自分がどうであるのか(自己概念)を確認する場である。
自分で内省するだけでは、は自分が今、何をやりたくて、今どれだけやっていて、どれだけ成長をしていて、どの様に環境を作っていて、実際に今の周りの環境はどうでっていうことはなかなか分からなかったりする(自己概念)。
当時の友人、教師と話し、場に身を置くこと(同窓会に参加すること)はつまり、同級生や教師や母校というフィルターを通して、過去の自分を見つめ直すことなのかなと思う。
過去の自分像を捉えることができるから、当時の自分と比べて、今の自分はどうなんだと比較ができ、自分自身に対しての理解が深まる。
そしてさらには、「当時の自分はこう」、「今の自分はこう」、「そして当時こうだった友人は今こうなっている」、「そして自分は今ここ」と友人や恩師の鏡に照らして自分自身を見つめることができ、自分自身への理解が深まる(自己概念の成長)。
同窓会の意義や意味って、そういうことなのかなって思う。
漫画「ワンピース23巻“ビビの冒険”」は私のお気に入りの巻の一つだが、その中の台詞の一節にこんなのがある。
反乱軍リーダーコーザ「おれ達は、とり返しのつかない事をしたんだ・・・・・・」
(中略)
アラバスタ王国国王
「悔やむ事も当然・・・・・・
やりきれぬ思いも当然
失ったものは大きく、得たものはない。
だがこれは前進である!!
戦った相手が誰であろうとも、戦いは起こり、今終わったのだ!!
過去を無きものになど誰にもできはしない!!!
・・・・・・・・・・・・この戦争の上に立ち!!!
生きてみせよ!!!」
学生時代に良い思い出ばかりの人ばっかりじゃない。
嫌な思い出だって誰にだってたくさんある。
そんな過去も、たった一度の人生の自分自身の一部分。
そんな過去から目をそむけ続けることも一つの選択かもしれないけれど、向き合って、その過去の上にドシンと立つことで、見えるもの、成長することってのがあるんだと思う。
そうやって、同窓会ってものを糧とバネにすることが大事だと思う。
それ抜きだと、単なるノスタルジーをお互いに感じて傷を舐め合う場になってしまうのかもしれない。
もし同窓会に対して「くだらねえ」っていう感想を持ったことのある人がいたとしたら、同窓会に対する向き合い方を少し変えると、その意味合いが変わるかもしれない。
「当時はあんなだったやつが、俺と大して変わらなかったやつが、今はこんなに頑張ってやがんのか。。俺も負けてられんな。あいつもくだらねえ世の中で、頭かち割られながら、それでもあいつ自身で立って、生きてんだな」って。
中嶋みゆきの「ファイト!」が、あなたの頭に流れるかもしれない。
いっそ水の流れに身を任せ 流れ落ちてしまえば楽なのにね
やせこけて そんなにやせこけて魚たちのぼってゆく
勝つか負けるかそれはわからない それでもとにかく闘いの
出場通知を抱きしめて あいつは海になりました
ファイト! 闘う君の唄を
闘わない奴等が笑うだろう
ファイト! 冷たい水の中を
ふるえながらのぼってゆけ