社会構成主義・ナラティブについての理解メモ
今回は非常に難解な課題に挑戦してみたいと思います。
前回のエントリーで取り上げた、「社会構成主義」と「ナラティブ・セラピー」について私なりの理解を述べたいと思います。
ただ、このエントリーをお読みになる際の注意点ですが、「社会構成主義」を説明するには、専門書一冊が必要なレベルですので、正直今回の記事において、完璧で正確な内容を表現できているとは思っていません。
記事では、断定調で述べていますが、あくまで「井川個人の見解・理解である」という前提でお読みください。
社会構成主義とは、主に産業革命期以後の合理主義的な考え方の対立概念として生まれた思想です。
その経緯のため、「ポストモダン」と表されたりしますが、映画「モダン・タイムス」でチャールズ・チャップリンが示した、現代にも通じる事象を例に例えると分かりやすいです。
モダン・タイムス (2枚組) チャールズ・チャップリン (出演, 監督, 脚本), 出演: チャールズ・チャップリン, ポーレット・ゴダード, ヘンリー・バーグマン, アラン・ガルシア, スタンリー・J・サンフォード 紀伊國屋書店
合理化が最も優先される社会では、人を「そこに存在しているもの」以上でも以下でもない存在として認識します。
つまり、工場で物を製造するための「1工程」と、「1人の人間」は同じモノとして認識されます。
こうした、理性によって物事を把握し判断する思想は、人間という本来不完全で複雑怪奇な存在を単純化して把握でき、計算が容易で計画を立てやすいため、産業革命を境に主に雇用主によって取り入れられ、合理主義が最も崇高で正しい考え方であるとされてきました。
合理主義は管理する立場からはとても便利な思想であるため、過去の出来事ではなく、今も社会のいたるところでそのような思想は人を虜にしているのではないでしょうか。
しかしこうした合理主義は、人間性をあまりに無視しているという思想が広がり、その対立概念として、構成主義あるいは実存主義が勃興してきました。
実存主義とは、「1人の人間」という存在よりもまず先に、その人間の中身、つまり感情や感性、想いがあり、存在としての人はあくまでその箱であるという考え方です。
この考え方では、ものそれ自体よりも、そのものをどう想うか、どう捉えるかが大事であるという発想でもの事を理解します。
この実存主義の考え方に「社会」という概念を加えて応用した考え方が社会構成主義です。
社会構成主義では、もの事それ自体が実際にどうであるかよりも、個人に限らず他人や社会で認知されているそのもの事への評価や認識から、もの事を理解しようと考えます。
その社会構成主義を応用したナラティブ・セラピーでは、クライエントとの対話の中で認識された事実から物事を理解しようとするため、前回のエントリーで述べた「外在化」というアプローチでクライエントと関わるカウンセリングが行われているわけです。
以上です。
今回のエントリーは、自分にとっても挑戦的な内容で、分かりにくい内容であったと思いますが、お付き合いいただきましてありがとうございました。
ではでは今日はこのへんで。
ではでは。
あなたへの社会構成主義 ケネス・J. ガーゲン (著), Kenneth J. Gergen (原著), 東村 知子 (翻訳) ナカニシヤ出版