国母和宏さんの真実の言葉 「腰パン」騒動を超え、ソチのメダリスト平野・平岡支えたスノーボーダー
「2月12日未明に行われたソチオリンピックスノーボード男子ハーフパイプ。15歳の平野歩夢が銀メダル、18歳の平岡卓が銅メダルを獲得する快挙の裏に、日本代表チームで、アドバイザーとして二人を後押ししたのが、バンクーバー・オリンピックに出場した国母和宏(25)さん」(出典:ハフィントンポスト)
という記事と、国母和宏のドキュメンタリームービーを観て、なんかオリンピックってホント凄いと思うけれど、僕等のように選手に楽しませてもらう側は、スポーツってものの本質を忘れて、知らず知らずに自分の価値観を選手たちに押し付けてしまっているよなって思った。
「オリンピック競技」ってとても権威付けされていて、たしかにその競技の発展のために重要なものではあると思う。
けれど、国母和宏さんのこのムービーを観て、「オリンピック出場」や「メダル」が目的じゃないんだと改めて教えてもらえた。
僕等はまず「楽しむ」ためにスポーツをやっている。
国母選手はスノボーを楽しみ、羽生選手はフィギュアスケートを楽しんで、表現している。
楽しむ手段の一つとして、競争するって要素があって、そのためにオリンピックって枠組みを作って、みんなで盛り上げている。
それなのに、いつの間にか「オリンピックでメダルを取ること」が選手たちの目的であるように僕等が押し付けてしまっているんだと思う。
この世間の圧力っていうのが、結局スポーツを歪めていってしまっていて、「空気を読む」事を重んじる日本では特にそれが強いんだと思う。
ロシアでは、プルシェンコの棄権を批判して、オリンピック出場資格の変更法案が出されるそうだ。
(露極右政党党首、プルシェンコ棄権を批判 3回以上五輪出場禁止の修正法案を用意)
柔道だって、そりゃあ日本発祥のものなのに金メダルを取れなければ悔しいけれど、でも「金メダル」が柔道ってものの目的なの?って思う。
柔の道を究めることが柔道の目的じゃなかったのって。
それが今のゴタゴタ根底に歩きがする。
スポーツの目的は楽しむこと。やる人も見る人も。
僕等はそれを忘れてはならない。