井川ヒロトのブログ

志について探求を続ける 井川 ヒロト が、ニュース・社会・政治・教育・作品(映画、演劇、インプロ、音楽、本、DVD、TV番組・ラジオ)などについて思った事を綴ります。※記事の内容は執筆者個人の見解であり、所属団体の公式見解ではありません。

初のネット選挙を考える。(2/2)

ネット選挙の候補者の利用のあり方について述べていきたい。

ネット選挙

ネット選挙解禁前に候補者が選挙期間中に利用していた発信方法としては、主に電話、街頭演説、ビラ(許可制)、ハガキ(許可制・枚数制限あり)、選挙ポスター(許可制)、選挙カー(戦車と掛けて「宣車」と言ったりする)、その他テレビ、新聞などの公共メディアあたりである。

上にあげた発信方法の共通点はなんだろうか?

それは、発信できる情報に制限があるということである。

街頭演説や電話では、詳しいデータや詳細な政策スケジュールなどを示すことは難しい。

ビラやハガキ、ポスターなどの紙媒体では、書ける内容に限りがある。

テレビやラジオでは、時間的制約がある。(テレビの討論番組では、司会やファシリテーターの能力がもっとあれば、もう少し深い議論を聞けると思うのだが・・・)

逆に言えば、それは政党や候補者にとってのエクスキューズ(いいわけ)になってきた。

「もっとより多くの方に、きちんと我々(私)の政策をお伝えしたいことは山々なのですが、お伝えできる時間や量にも限りがありまして」というわけである。

しかし、ネット選挙が解禁された今は、そうはいかない。

ネットの技術を使えば、ほぼコストをかけずに何ページにもわたって詳細な情報を、文字、絵、図、写真、あるいは動画を活用して掲載することができ、候補者が現在考えている日本をより良い国にしていきたいという政策の全てを表現することができるようになった。

ならば候補者は、より具体的に、深く、広く、詳しく、分かりやすく有権者に対して自身の政策を伝えることは、候補者にとっては義務である。

特に政党を組んで選挙に臨んでいる候補者がそれをしないことは、立候補をすることの責任を果たしていないと言ってもよい。

なぜならば、具体的で詳細で分かりやすい政策の提示がなければ、有権者は候補者を比較することもできず、投票をするための判断材料がないからである。

言ってみれば、現在行われている選挙とは、「誰が好き」とか「この政党は気に食わない」とか、そんなレベルでしかほとんどなされていないのである。

ネット選挙の真の目的は、その情報の過疎状態の是正であったはずである。

にもかかわらず、今回の参院選では、いつ、どこで街頭演説をやるかといった情報ばかりで、より深い政策の提示が以前と比べてなされていたとはいえない。

消費増税を例にして考えてみたい。

与党で言えば、消費税を上げたとして、景気がどのくらい良くなれば、税収がどの程度増え、何年後までにどのようにして税収と国債発行額との収支をプラスにできる計画なのか。

野党で言えば、消費税を上げなかったとして、国債金利上昇を防ぐための手立ては何か?もしくは上がってしまったときの対策は何か?社会保障の充実をさらに図るための財源はどこで、いつから、どのようにして国債発行額との収支をプラスにできる計画なのか。

その他、今回の参院選は「争点がない」と言われていたが、そんなことはない。

景気対策、雇用制度改革、社会保障、TPP、原発少子化対策、教育改革、法人税率、憲法改正、年金などなど争点はいくらでもあったし、事実政党や候補者によって反対派、賛成派はわりと分かりやすく分かれていた。

(外交性問題だけは、戦略の機密性を優先して、例外とする判断はあるだろうが)

しかし、上辺だけの賛成・反対の意見(というより単なる思いのレベル?)の声しか愛も変わらず候補者からは発せられず、具体性がなかった。

我々有権者は、政治家のこの怠慢を許してはならない。

確かに、政治家には、小泉元総理や小泉進次郎さんのように人を惹きつける人間力やカリスマ性は必要であると思う。

だがしかし、ネット選挙が解禁された今、我々有権者はイメージ戦略に終始する政治家を許してはいけない。彼等にはもう言い分けはできないのだから。

政治の実行力とは、政治家が作るものではない。それを求める有権者が創り出すものである。

駒井 健太郎 (著), 鈴木 雅博 (著), 自由民主党 参議院議員 世耕 弘成 (監修), 民主党 衆議院議員 石井 登志郎 (監修)

「ネット活用選挙の手引き(国政情報センター)」