(2007-03-05mixi 日記掲載文章を加筆修正。書いた当時の空気感を残したかったので、当時のストレートな表現はそのままにした)
サルバドール・ダリの台詞
「あの人は俺の一から十だ。だけど俺の零から一はお前だ。」
この言葉に出会えた経験は、将来の私にとって間違いなく大きな意味を持つことになる。
ある作品を観た時、基本的に感想は二つに一つ。
面白いか、面白くないか。
パラドックス定数 第13項
『プライベート・ジョーク』の場合。
面白かった。
しかし「何が何故面白かったのか」その理由を分解して分析する事は難しい。
そもそも作品を観る時にそういう目で観ないし。
でもそうやっていつも逃げてるからいつまで経っても成長しないんだと思い、曲がりなりにも考えてみる。
まず役者さん達一人一人の役作りが素晴らしかった。
ルイス・ブニュエル、ガルシア・ロルカ、サルバドール・ダリ、アルバート・アインシュタイン、パブロ・ピカソ。
彼らは彼らとして舞台に立っていた。
そして客席との境界線のない舞台は、私達に空気として彼らと同じ場所で同じ体験を経験させてくれた。
だから観ると正直疲れるけれど、それは実感を味わえた証拠なんだと思う(とはいいつつもやっぱ120 分芝居だと正直お尻は痛くなるけど)。プロの芝居よりも役への入り込みはあったのではと思う。
それはその役としてそこに存在させる為の、環境と台本と空気を用意した演出の腕と、それをストイックに表現した役者の心意気の結果なんだと思う。
ショーの要素は入れない代わりに「役」の人間性を存分に見せてくれる。
ちなみに前回の芝居は音なし照明なし(白熱灯だけ、暗転なし)2人芝居で120分。
しかし「面白い」って実感はあるのに、そこから自分が何を得たのか、何を感じたのかがなかなか出てこない。
ひねり出してみると、
●こんな変わった人達が世の中にはいたのか。俺はまだまだだ。もっとパンクに生きていこう
●それぞれの天才の背中、羨ましくて悔しい。俺はまだ自分が何なのかつかめていないけれど、俺は俺なりの天才になって、彼らと肩を並べてみたい。
●ピカソの「私が制作中の『ゲルニカ』と呼ぶことになる作品と最近の私の全作品において、スペインを恐怖と死の海に沈み込ませた軍事力に対する私の恐怖感をはっきりと表現している」という「映像の世紀」で聞いたこの言葉を思い出した。
そして僕の中での「凄い!面白い!」よりも上のランク「なんで俺があの舞台に立っていないんだ。ちくしょーいつかあの舞台に立ってみたい。くやしぃー!」って思えた作品でした。