イガワヒロトのブログ

志について探求を続けるイガワヒロトが、いつまでも青臭い心(ブルーハーツ)でニュース・社会・政治・教育・作品(映画、演劇、インプロ、音楽、本、DVD、TV番組・ラジオなど)の批評や日常の思った事を青っちろい言葉で記事にします。※記事の内容は執筆者個人の見解であり、所属団体の公式見解ではありません。

ゆとり教育批判にみる、日本再生のカギ

Facebookで久しぶりに再会した同級生と、「ゆとり教育批判」の矛盾点について話しが盛り上がり、日本再生のカギをはっきりさせるような良い議論ができて、掲載の許可ももらえたので、ブログにまとめておきたい。

 

池谷 聡「職場を悩ます ゆとり社員の処方せん(朝日新聞出版)」

 

(原文)

 

【はじまりは、僕のツイートから】

学校週6日制「完全実施に高いハードル」教職員勤務時間ネック

学校週6日制、導入検討 文科相「世論の理解ある」

 

ゆとり教育学力低下に結びついていないと思うので反対。詳しくはここで書いた↓

千と千尋の神隠しから考える「ゆとり教育」反対への反対意見その1

 

 

【ここからが、Facebookで友人Sからもらったコメントとそれへのレス(抜粋)】

S>

ブログ、読んだよ もっともっと続けて書いてくださいな。

米の大学で、linguistic Anthropologyっていう教科を取ってね・・・俺、一番、苦手だったんだ。テストで、もう2問正解していればAだったんだけど・・・バカの壁を感じたな。

 

そこで、一番、理解不能だったのが、Antiethnocentralism(反自民族中心主義)っていう思想でね。・・・

要は、「相手を理解するためには自分の文化(=感覚)から良いと思うものだけが良いものではないんだよ。そこを理解しないと君は相手を本当には理解できない。」ってな感じだったかな。

 

で、イガワのブログを読んで思ったのは、全然、イガワの意図することとは違うけど・・・ゆとり世代は勝手に「ゆとり教育」にされて、その後、「ゆとり」と揶揄されているのはかわいそうだよね。

そして、どの年代の人でも「自分の世代は優秀。君の世代は非優秀」と話を進めていくよね。特に、酒の席!まさにethnocentralismの権現!

 

つまりは、「ゆとりをゆとり」と揶揄することと同様は、その他の例でも常にこの日常に溢れていると思うんだ。以上です笑 これ以上、論述すると朝が来てしまいますので、我慢します。。。

 

 

イガワ ヒロト>

コメントありがとう!

さすがSは難しそうな学問を、しかも英語で学んでいてすごいね!

うん、繋がる繋がる(そのAntiethnocentralismを完全に理解してるわけじゃないけれど;)。

 

もちろん、自身の正義を持って、それを信じることは悪いことじゃない。

だけれど、他人を批判するときはたいてい、相手のことを知らないか、自己欺瞞かのどちらかなんだよね。

ゆとり教育の場合は後者で、清水君の言うとおり「自分たちの世代は優秀で自分たちは悪くない」というために、「ゆとり」という言葉を利用しているに過ぎないんだと思う。

 

今の子どもが常識がなく、学力が低いとすればそれは今の親のせい。

そして、そんな今の親を育てた親の親のせい。

 

そうやって、制度のせい、環境のせい、社会のせい、政治のせいだと言っていても不幸になるだけ。

自己欺瞞から抜け出した上で改善策を考えないと、本質的な問題はまったく解決されないで、上辺だけのマスターベーションに終わる。

 

ああ、確かに朝がきちゃうね、これは笑

どうしたら良い循環を生み出せるのか、引き続き僕なりに考えてみます。

 

 

S >

俺も「他人を批判するときはたいてい、相手のことを知らないか、自己欺瞞かのどちらかなんだ」に同意見だな。

もっと言ってしまうと、日本人の最近の潮流では「嫌い」を表明するのは悪で、「好き」を表明することは問題ないと勘違いしている輩にはビックリする。「好き」を表明した時に、その対象物を心底嫌いな人には同じくらいの不愉快さが残るものだよね。

 

俺の中では、日本人は己の心の弱さを打開するために努力するべきだと思う。

例えば、良く使ってしまう言葉に「みんなもそう思っているよ・・・きっと」とか~この言葉はずるいよね。

 

自分の意見のreasoningが「多数がそう思っているはずだから、自分はmajorityの中に所属していて、自分の考えは一般的から逸脱していない。そして、だから、正しい」という言葉の裏にある意味でしょ?

「みんな」を使わずに、自分の意見を強いreasoningで証明してみろ!といつも弱い人間を見ると思ってしまう。

 

つまりは、日本文化には根づかなかった「majority主義 not=民主主義」を一回白紙に戻すべきだと思うんだ。

日本人は民主主義を勘違いしすぎている。民主主義はminorityの意見を無視して良いというものではなくて、minorityの人間が主張している所にこそ、majorityのみえていない観点があるのではないか?

もしくは、そのminorityを説得できないくらいmajorityが今やろうとしている案は欠陥があるのではないか?と立ち返る主義でしょ?

 

だから、俺の意見としては、日本人はとりあえずは「個人主義」を極めるところから新しい日本人らしい文化が始まるんだと想像しているんだ。

 

法律に触れない範囲で、個人で考えて自分で正しいと思ったことを行い、失敗したときには個人で責任をとる。

結局、社会も国家も家族も、落ち目の人間に対しては誰も助け舟なんか出してくれないし、その助け舟が来るかもしれないという可能性を考えながら自分の行動への責任に甘えることも失敗への近道になると思うんだ。

 

つまりは、行き過ぎた社会保障(社会民主主義の思想)も是正できるし(asymetric information problemのmoral hazardの解消)、投票率も当然upすると思う。社会のせいにして、甘えているお坊ちゃん・お嬢ちゃん(年上も年下も)には正直、驚きを隠せないよ。

 

いやいや! イガワと意見が合うわ~ なんだろうね?

俺たち、海外に行っていたから精神的にも日本への愛着に関しても強くなれたのかな??

 

俺ね、唯一、ここ「今の子どもが常識がなく、学力が低いとすればそれは今の親のせい。そして、そんな今の親を育てた親の親のせい。」だけがイガワの考えに50%付け加えたいんだ。

 

俺の中では残りの50%がMediaのせいだと思うんだ。むしろ、75%がmediaのせいなのかもしれないとまで考えている。

 

「批判主義」「反学歴主義」「反官僚政治」「反アメリカ」「親韓国・中国」・・・今の親を教育したのは学校の先生ではなくMediaがMind Controlしたものだと思うんだよね。「一億総白化」というか・・・。

 

その教育された親・先生は自分で自分の意見を持てず表明できず、Mediaの論調を↑でも言っている通り、「みんな」というパワーを使って、コレが一般的で正しいなんて言うじゃん。

その年上に教育された子供たちは本当に不幸だよ。何が「正しい」のか分からなくなっている。

例え、見つけても「否定されてしまう」状況だし。。。

 

例えば、「反学歴主義」を「馬鹿でも愛嬌があればいい」とか、「勉強しなくても良いんだ」なんて、勘違いする人間もいっぱいいるでしょ?

「反学歴主義」になるのならば、自己の能力の証明をとても得にくい「実績」で証明しないといけなく、より過酷なのを知らずに・・・。

 

俺の話になるけど、中大に行かずに、京都大学にも入れず、2浪して、いきなり海外大学に行ってしまったから、本当に過酷な人生を歩んでいるもん笑 俺が歩んでいる道が特殊すぎて先輩もいなければ、責任は100%自分で取らないといけないし・・・

だからこそ、強くなったのかもしれないけど、その代償は計り知れないと思う。

今では、中大に行って、一般的な道を歩んでも幸せだったなって思うもん。

 

ごめんね。論述を戻すわ!そんな感じで、日本人が日本を誇れなくなっているのは、Mediaの中に多数紛れ込んだ「スパイ」のせいなんじゃないかな?その「スパイ」は日本名で、あたかも自分が日本人かのように、日本の悪口を言う。それを毎日、聞けば、必然的に、子供たちも日本の素晴らしさを理解できなくなってしまう。 だからこそ、俺はMediaは主にNHKのニュースか、東京TV、日経新聞を耳に目に入れるようにしている。

 

 

イガワ ヒロト>

「みんな」を使う論調について、是正すべきというのは賛成かな。

若干違う視点からこのことについて言うと、「みんなもこう思ってる」=道徳っていうのは社会を作るうえで必要なことではあると思う。

 

国富論を書いたアダム・スミスは「道徳感情論」ていうのも書いていて、要するに社会では「同感」を得られない人や商売は社会生活が送れないし、消費者に指示されない商売は成り立たない。だから人は同感を得られる行動をする。資本主義ではそれぞれが自分の利益を考えて行動するにもかかわらず、秩序が保たれるのは、この「同感」という概念があるからである。という考え。だから「みんなが思っていること」を意識すること自体は悪いことではないと思う。

 

アダム・スミス道徳感情論 (講談社学術文庫)」

 

問題は、本来は自信の正義=倫理っていうのがあって、その上にその道徳が乗っかって、バランスを取り合うべきところを、今の多くの日本人はそれが逆で、道徳の上に倫理が乗っていたり、道徳が倫理になってしまっているところだと思うんだ。

 

だから、個人的には凄くいい人でも、組織に入るととたんに非道なことや間違ったことをやってしまう。昔は「コンプライアンス」なんて言葉がなくても成り立っていたのに、今はコンプライアンスなんていう「みんなで合意した正義」にすがらないと仕事が出来なくなってしまった

 

昔は武士道や「ならぬものはならぬのです」っていう社会の安定と平和を維持してきた絶対の正義(道徳であり倫理でもあったんだと思う)があったんだけれど、今はそれがなくなっているから、Sの言うとおり、自信の正義をI message(アイ メッセージ)で語れないと、簡単に社会の悪い道徳観にも流されてしまうと思うから。

 

メディアは政治のチェック機能であることは間違いない。

でも、取りあえず政治批判をしていれば視聴者から支持されるって言う風潮は日本にとって悪影響を与えていることの方が多いと思う。

 

いや、もちろん「こいつは酷いな」とか「騙された」って思う政治かもいるけれど、政治家も総理大臣(直接選挙制じゃないけれど、広い意味でね)も自分たちが選んだってことは棚に上げて、政治批判しても日本は良くならないし、日本の政治と政治家のレベルは日本人のレベルなんだよ。

 

そうやって、自分たちが選んだ政治家と総理大臣に責任を持つ意識を持たないと、日本の政治はよくならないと思うから。

 

僕もニュースはNHKが一番好きかな。普通のニュースも好きだし、「視点論点」とか「時事公論」って番組は10分間でニュースや時事問題を要点だけ論じてくれるから毎日録画して観てるんだけれどお勧めだよ。

 

 

S >

まさに、その通りだよね!

「選挙に行かない=批評・批判は自由 なぜなら、俺が決めたわけじゃないから」はもう通らないほど、民衆は有智になっているからね。

 

 

イガワヒロト >

レスありがとう!

まあでもなんだかんだ言って、お互いに日本が好きで、もっと良くしたいっていう共通点があるから、違うバックボーンでも話しが合うのかもね。これからも精進していきますので、よろしくですー

 

新渡戸 稲造「武士道 (岩波文庫)」