イガワヒロトのブログ

志について探求を続けるイガワヒロトが、いつまでも青臭い心(ブルーハーツ)でニュース・社会・政治・教育・作品(映画、演劇、インプロ、音楽、本、DVD、TV番組・ラジオなど)の批評や日常の思った事を青っちろい言葉で記事にします。※記事の内容は執筆者個人の見解であり、所属団体の公式見解ではありません。

死ぬことについて

親戚の一周忌に行った。

 

死

 

 

 

僕たちは普段、どうしても自分が限りある命であり、死がいつもそばにあることを忘れがちだ。

 

 

成人式(冠)、結婚式(婚)、お葬式(葬)、一周忌などの法事やお盆(祭)、こうした冠婚葬祭が今はあまり重視されなくなっているらしい。

面倒くさいもの、厄介なもの、無意味なものと捉えられているのだそうだ。

 

 

 

人は、自分ひとりで生きているのだろうか?

 

否。

 

人は、多くの人や自然に支えられて生きている。

 

人は、ずっとずっと昔からの人が積み重ねてきてくれた、文化、歴史、土地、財産、知識、そしてDNAがあってはじめて今、存在できている。

 

その礎(いしずえ)のどれか一つでもが欠けていたら、今、私も、あなたも、あなたの大切な人も、彼らも存在しない。

 

 

冠婚葬祭とは、そうしたことを、視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚の五感と心で再認識する場でもあると思う。

 

 

志を身に付けたり、育てるためにはこうした素養が不可欠だ。

 

志の根底には、自然や人への感謝があるからだ。

 

そして、このブログの一番最初の記事でも述べた「何故、人は志を持つのだろうか」という問いに答えるには、死への感受性を有する必要があるからだ。

 

仏教のお経でよく聴く「南無阿弥陀仏」の「阿弥陀」とは、古いインドの言葉で「限りなく広く、長い」という意味があるそうだ。

そして「南無」とは「ゆだねる」という意味があるらしい。

 

つまり、宇宙の様な、私たちが想像も及ばないような広大なものの中で、私たちは塵くらいの時とモノとして存在をして、死んでいく。

そうした事を感じて、考えて、身をゆだねてはじめて、生を生きられる。私はそう理解した。

 

 

だから死を恐れ、見なかったり、考えなかったりするのではなく、

死はいつもそばにあると感じ、向き合うからこそ、自分が生きている意味について考え、

それが志に繋がるのだと思う。

今というこの瞬間を大事に、生きられるのだと思う。

 

 

 

最後に僕の好きなセリフで結びたい。

COWBOY BEBOP Session#26 THE REAL FOLK BLUES(PART-2)より

 

死を恐れるな、死はいつも傍にいる。

恐れを見せた途端、それは光よりも早く飛びかかってくるだろう。

恐れなければ、それはただ優しく、見守っているだけだ。

 

 

 

こんな話知ってるか?

あるトラ猫がいた。

その猫は、好きでもない色んな飼い主たちに飼われながら、100万回死に、生き返って100万回生きた。

猫は死ぬのが怖くなかった。

あるとき猫は、自由な野良猫だった。

そいつは白いメス猫に逢い、二匹は一緒に幸せに暮らした。

やがて月日が経ち、白い猫は年を取って死んじまった。

トラ猫は100万回泣いて、そして死んだ。

もう二度と生き返らなかった。

 

佐野 洋子「100万回生きたねこ講談社)」

 

 

監督: 渡辺信一郎 出演: 山寺宏一, 石塚運昇, 林原めぐみ, 多田葵

 

 

 

 

 

英訳してみた。(自信ない汗)

Do you know a story like this?

 

There was a tigercat.

The cat million times lived and million times dead as was have by many different hate masters.

The cat did not afraid of die.

The certain day, the cat is a free stray cat.

He meet a white cat. Then the two cats lived happily.

In corse of time, the white cat is getting on, and dead.

The tigercat cried million times and dead.

The tigercat didn't rise forever.