千と千尋の神隠しから考える「ゆとり教育」反対への反対意見その1
(2011-02-03はてなダイアリーブログ掲載記事を加筆修正)
「千と千尋の神隠し (通常版) [DVD] 」
「ゆとり世代」という言葉をよく聞くようになった。
それはしばしば新入生や新入社員など、「ゆとり教育」を受けた若者世代を揶揄(やゆ)する時に用いられている。
では、ゆとり教育批判は教育の改善をもたらすだろうか。
我々日本人の成長に繋がるだろうか。子ども達に明るい未来を残すのだろうか。
スタジオジブリの「千と千尋の神隠し」を久しぶりに観て感じた事と、普段から感じていたそんな疑問とが相まって考えた「ゆとり教育批判の批判」を記していきたい。
日本テレビの金曜ロードショーで、「千と千尋の神隠し」が放送されていて、録画していたモノを久しぶりに見返した。
10代の頃には気がつかなかった観方をすることができて、
非常にインスピレーションを刺激された。
<千と千尋の神隠しの概説>
生きる意味を見出せなくて死んだような目をした主人公(千尋)は、迷い込んだ神々の世界で生きる為に働くことになる。
仕事や様々な人や八百万の神々とのふれあいを通じて、徐々に自分で考え自分で行動する強さを身に付けていく冒険ドラマ。
10代の頃の私はこの作品を、こう捉えていた。
子ども達が千尋の体験を追体験して、子どもたちに同じように生きる意味を考えてもらうための作品。
しかし、30歳近くになってみてこの作品を改めて観ると、実はこの作品は大人に対してのメッセージを込めた作品なのではないかと感じた。
「我々大人は、子ども達に生きる上で大切なことを伝えられているのだろうか?」
そう宮崎駿監督に問いかけられた気がした。
挨拶、礼儀、死ぬことと生きること、感謝、何が正しいかを自分自信で考えること(正義)、神への畏れ、人間の醜さ、助け合う事、他人の気持ちを思いやること。
我々はこれらの大切なことを子どもたちに果たして伝えられているのだろうかと。
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と記事が長文になってしまったので、エントリーを3つに分けることにしました。
その2以降では、「ゆとり世代」や少子化、コミュニケーション能力低下、学力低下などの問題について書く予定です。
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